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36件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1976-10-15 第78回国会 衆議院 外務委員会 第4号

ところが韓国におきましては、まず終戦後、李承晩大統領による反日侮日政策というものが続いておりまして、私は一九六〇年に日本外務大臣として初めて韓国へ参りまして、李承晩内閣が倒れた後の張勉内閣また当時の尹フ善大統領、その人たちいろいろ話をいたしたのでございますが、彼らはそれによって初めて日本に対して目を開いたと言ってくれたわけでございます。

小坂善太郎

1973-10-09 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第52号

ここで張り込んだ相手の人は、張勉内閣時代国連大使をやっておられた林昌榮という方ですね。この林昌榮氏は二十三日以降に張り込んだんだけれども、おりてこなかった。ところが数日前に先に着いてしまっていた。都内のホテルを、連日宿泊所を変えて転々とされた。この林昌榮という人は、七月十七日に来られて八月十七日までおいでになった。

大出俊

1965-11-04 第50回国会 衆議院 日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会 第9号

張勉内閣になってこれが十億ドルになり、次第に下がって、ここまで下がってきた。日本側としてはまず成功と  いってよいかと思いますが、韓国から見れば、それだけに不満、不平であります。こういうことも考えて、まずこの辺でいたし方がないと私は思い  ます。  

御手洗辰雄

1964-03-25 第46回国会 衆議院 外務委員会 第12号

その次には、日韓会談はほぼまとまる、韓国の中に新しい理性の光がさしたといわれておったと思うと、張勉内閣が倒れて、朴政権という二・二六事件のなれの果てのような性格の、仁義の従輩でなければ理解しにくいような、すなわち正常な教育のある人間にとっては理解しがたいような感情と論理と経歴の中に育った政権が生まれた。

帆足計

1963-02-21 第43回国会 参議院 外務委員会 第7号

たまたま李承晩政権のときには相手にしてくれなかったのですが、軍事政権の前の張勉内閣からだんだんそれが盛り上がってきまして、そうして話し合いを進めておるのであります。私は、日韓国民正常化に対するこの悲願を、この願いを実現する場合において、それが民主政権であろうが、軍事政権であろうが、とにかく、あせりはいたしませんが、できるだけ早く正常化をしようというのは私は当然のことだと思う。

池田勇人

1963-02-21 第43回国会 参議院 外務委員会 第7号

だから、朴政権に限らず、その前の張勉内閣のとき、また李承晩のときから日韓交渉を、日韓国交正常化をやろう、これはもう周知の事実でございます。十数年前から正常化に努力していこう。ただ相手がこれについてこなかっただけであります。それに向かって進んだのは張勉内閣そうしてその次の朴政権でございます。

池田勇人

1963-01-29 第43回国会 衆議院 予算委員会 第2号

張勉内閣があとできたが、これも弱体であった。そうして政界、財界は腐敗をする、貧官汚吏がばっこするといったような、目も当てられない状態というものになって、学生諸君、あるいは教授諸君決起をして学生革命が起った。その後どうやら幾らか民主化の曙光が見出されたものの、これまた思うようにいかない。青年将校決起をする、その青年将校は貧困な農村の子弟である。

井出一太郎

1962-12-10 第42回国会 衆議院 本会議 第2号

朴政権は、選挙を通じて正当に選ばれた張勉内閣クーデターで倒してできた軍事政権であります。しかもなお、政治活動の自由は弾圧され、戒厳令は数日前ようやく一応解除はされましたものの、言論、結社の自由が極度に抑圧されていることは御案内の通りであります。はたして日本交渉相手政府として、朴政権朝鮮国民の意思を代表する正当なものであるかどうか、全く不明といわざるを得ないと思います。

勝間田清一

1962-09-02 第41回国会 衆議院 外務委員会 第5号

なぜかと申しますと、この張勉内閣時代には、南北統一民族独立運動が自由にできたわけであります。そこで、日本における各大学の留学生なんかが先頭に立ってやった。どこのところでも学生というものはそういう進歩的な先頭に立つものであります。ところが、そのリーダー格になっている者は朴政権にそれぞれ皆どうもリストに載っておるらしいのであります。

猪俣浩三

1962-09-02 第41回国会 衆議院 外務委員会 第5号

南北合同運動なんというのは、張勉内閣のときには自由にやっておった。ほとんど全部こういうものが弾圧せられる。そういう状態ならば、まさに、ここに入っておるところの、本国へ帰っても保護を受けられない、保護を受けることは不可能だ、そうしてまた帰国を望まぬ人々、これに当たる。「現在母国を離れており帰国してその国の保護を受ける事が不可能か、または帰国を望まぬ人々を含む」と書いてある。

猪俣浩三

1962-08-31 第41回国会 衆議院 法務委員会 第5号

張勉内閣時分には、別に抑制されておらなかった南北統一運動、こういうことが、朴政権になりましてからは、いろいろな法律によりまして、徹底的な弾圧を受けておる。たとえば反共法というような法律、この法律は、南北統一論者に対して、何げなく手紙を出した者さえ全部処罰するというような、極端なる法律であります。

猪俣浩三

1962-08-24 第41回国会 衆議院 法務委員会 第3号

そこで、これらのいろいろの政変下において日本に脱出してきた人たち、ことに学生等で、この朴政権下に帰りますと、人身の自由その他生命の危険さえ脅かされる者が相当出てきたのでありまして、現にずっと李承晩政権あるいは張勉内閣当時から国家の補助によって日本に留学していた学生が、朴政権反対運動をやったということで相当人数奨学金停止処分を受けている。

猪俣浩三

1962-03-31 第40回国会 参議院 本会議 第15号

すなわち、今回委員長も報告に及びましたとおり、日韓交渉一つ取り上げてみても、御承知のとおり、軍事クーデターによりまして、一応選挙によって選ばれた張勉内閣が倒れて、そうして張都暎軍内閣ができ、皮肉にも彼は死刑の判決を受け、無期懲役になり、先日、御承知のように、尹大統領もこれまた辞職する、こういう事態を引き起こしているのであります。

藤田進

1962-03-28 第40回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第2号

そうしたら、当時張勉内閣時代でしたが、これはもうまことにごもっともで、当然置くべきものだ。ただ、置きますと、これは代表部を置いたら大使館というものは当分できないという印象を与える。で、われわれ——というのは韓国側が言いますには、われわれは至急日韓会談を妥結させて、日本大使館を迎えたいので、ちょっとの間だからしんぼうしてくれと言われているうちに、政権がかわってしまったわけです。

小坂善太郎

1962-03-24 第40回国会 衆議院 外務委員会 第16号

そこで、この革命政府合法性と申しますか、前の内閣との継続性があるかどうかという問題になりますと、張勉内閣時代大統領であった氏がそのまま留任しておる。これは継続性を示すものだ。ところが、その間一年たちまして、そうして国家再建非常措置法という法律ができまして、これはユン・ポソン大統領の治下でできた。これの第十一条に、ユン・ポソン大統領の事故のある場合を規定しておる。

小坂善太郎

1962-03-08 第40回国会 参議院 予算委員会 第8号

失業者が増大して李承晩張勉内閣時代よりはるかにひどくなっている、こういうことを聞いております。そういう政情不安、さらにこうした朴の悪政に対して当然人民は立ち上がらざるを得なくなった。南北統一を目ざす人民の闘争は非常に底から上がってきている。そうしてそれとともに、南朝鮮人民反米機運もまた急激に高まって、最近こういう事件が起こった。

岩間正男

1961-11-10 第39回国会 衆議院 外務委員会 第12号

にもかかわらず、この張勉内閣に何ら劣らない、その後の政情も全く権力による弾圧によってのみ維持されておる政権である。国民生活を見るならば、革命が行なわれましてから後に一そう悪くなっておる事実をわれわれは指摘することができます。そういうものに対して日本の経済的並びに国際信用をかけてこれに乗り込もうとしておる政治的意図は、一体どこにあるのか。

穗積七郎

1961-10-16 第39回国会 参議院 予算委員会 第4号

この前、去年の参議院本会議で、わが党の野坂議長池田総理に対して、どんなに日韓会談を急いでも、そのときは相手張勉内閣はなくなっているだろうということを予言しましたが、今日ではそのとおりになっています。朴政権が同じ轍を踏まないという保証は何もないのです。池田総理は一体最近朝鮮の三十八度線における切迫した怪しげな雲行きがアメリカを中心として作り出されている事実を知っているのですか。

岩間正男

1961-10-07 第39回国会 衆議院 予算委員会 第5号

その人がさらにクーデターを断行して、張勉内閣クーデターで倒した人をさらに倒して現在の政権に至っておる。そうすれば、その間わずかな年月の間にネコの目のように変わっておる。今後二年間に韓国革命が、こういうクーデターが起こらないという保障はだれもせられないと思う。これはあなただってせられない。できるということは言えない。

木原津與志

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